私は50代で人生に疲れくたびれ果てていました。
この先、良いことなどないのかもしれない。
このまま老け込んで、どんどん干からびたおばあさんになっていくのだろう。
ほとんど自暴自棄にどんよりとした毎日の中で唯一の楽しみは、テレビの前にゴロンとなって、あま〜いお菓子を口に入れることでした。
もちろん体重は増えていく。
あっと言う間に10Kg増加(^^;)
鏡を覗けば、どんより顔の自分に嫌悪感がわいてきて、またテレビの前でゴロンとなってお菓子を食べる。
メンタルには沈みっぱなしで暗い言葉しか頭に浮かばないのだから、当時の私に会うことができたら、励ましの代わりにギュッと抱きしめてあげたいと思うことがあります。
そんな 人生に疲れた50代だった私へ
「やる」「やらない」の選択で人生は変わる。 行動する(やってみる)ことで人生が変わるし、自分の手で、そして決断と行動で未来は切り開ける。 |
今はそれがわかります。
でも50代の私は「これから楽しいことなんかない」と思っていました。
人生に疲れた50代が60歳で充実した暮らしを手にする
50代で歩けず疲れてしまった私
「歩けない」
これは足腰に疾患を持ったからで自分自身の手ではどうしようもないことでした。
(正確には全く歩けない訳でなく、杖を片手になんとか足を動かすことはできました)
少しでもコンディションがよくなることを願って、リハビリを受けに病院通いもしました。
週に3日、会社勤めの合間に通うのですから時間的にも大変です。
しかも病院へ行けば年配の女性達(70代〜80代)から「若いのにだらしがないわね」とよく言われました。
悪意のない言葉ながら結構傷つきました。
いや・・・私だって歩けなくなりたかった訳ではない・・・(涙)。
- 通院してもちっともよくならない
- 通院に疲れてしまった
いろんなストレスが溜まってヤケッパチになったこともありました。
そして通院すらもやめてしまいました。
藁をもすがるってこんな感じ?
そう思いながら、鍼灸院、接骨院、カイロプラクティック・・・あらゆる治療を試しても、一次的に「ちょっとマシ?」と感じたものの効果はほとんどなし。
朝起きてからずっと、いや、寝ている間も・・・、足のしびれや腰の痛みに悩まされて、なんだかすべてがとっても哀しい毎日でした。
「痛い」という言葉は一日に何百回も口にしていたような気がします。
50代で人生に疲れるのは人生の節目だらから?でもしんどい
私は足腰の疾患で歩けない50代を送りましたが、同級生の中にもいろいろな悩みを抱えている人がいました。
【友人Aさん】
独身でバリバリと仕事とこなしていたキャリアある女性。
お母さんが体調を崩して、仕事と介護の板挟みで自分も体調を壊す。
そして定年まで数年を残して退職。
「今はね、母の年金と自分の貯金の取り崩しの生活なの・・・」
と語ってくれた時、彼女はてっきり定年までキャリアを積み上げるものと思っていた私は、自分の思い通りにならない50代の大変さを感じました。
【友人Bさん】
子供さん達が独立して巣立ち。
「何やっていいのかわからない」
と日々ぼんやりとすごしている友人。
彼女は本当に主婦として、母としても、私は尊敬するぐらい家族のためにしっかりと家事をこなす人でした。(家はいつもピッカピカ、しかも料理も手抜きナシで上手)
家事が苦手で主婦失格の私にとっては憧れの存在でもりました。
でも「今は何もやる気になれない」とため息をついてばかりでした。
「一番辛いのは怠け者扱いされること」という彼女の言葉が忘れられません。
家族、特に子供たちのために身を粉にしていた彼女は、心のよりどころを失ったのかなぁ?
彼女にとっての50代は、妻、母でななく彼女自身を見つける充電の時期?
そう思いながら60代へ向けてしっかり充電してくれることを願っていましたが、後日、毎日午前中はご主人の仕事を手伝いはじめて「働くって楽しい」と語ってくれるようになりました。
【友人Cさん】
同じくしっかり者の主婦のCさんは子供が結婚、孫ができて・・・と喜んでいたのもつかの間。
ご主人のお父様が他界されて発覚した、家庭の借金事情。
ご主人もまったく「寝耳に水」状態だった上に、肝心のご主人が自暴自棄に陥って「私には自分が楽しむ人生なんて永遠にないかも」と悲観にくれています。
「いつになったら自分人生を満喫して楽しめるのだろう?」とも話してくれました。
数年前に同窓会で出会った同級生だけでも、こんなにもイロイロな事情を抱えて毎日をすごしていました。
・・・となると、50代で人生に疲れている人は日本中にはいっぱいいるのかもしれない。
そう思います。
- 自分の身体もあちこちガタが来る年代
- 親も病気になって介護が必要になる年代
- 子供が独立して巣立つ年代
人生の節目みたいなものなのでしょう。
それでも自分自身に、あるいは自分の身の回りに起こっている現実を受けて止めて毎日をすごさなくてはならないんですよね。
そして人生は一度っきり。
負の感情に振り回されて、しんどい、辛い、悲しい・・・と嘆くだけで何もしなかったら、そのまんまで終わるのでしょうね。
あぁ、なんとかしたいなぁ・・・
なんとかできるかなぁ・・・
私自身、疲れた50代の時にはいろいろ考えてはいましたが、考えるては「どうにもならないのか」とさらに落ち込むこともありました。
でもある時頭に浮かんだのは「考えている」だけでは、何も変わらないということでした。
50代で人生に疲れ「やる」か「やらない」の選択をした時
私は60歳をすぎた今は、定年退職して時間にも場所にも縛られずにネットビジネスをやりながらほっこりと暮らしています。
定年しても働くのはお金のため?と聞かれることもありますが、もちろんそれもある。
でもそれ以上に自分の人生は行動する、チャレンジすることで切り開けると知ったから、まだまだチャレンジしていたいと思うようになりました。
つまり働く意味の中には お金 < チャンジの面白さ
みたいなイメージです。
チャレンジで自分の人生を切り開く。
人生を変えることはできる。
これを実感したのは脊柱菅狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の手術を受けた時からはじまりました。
足腰の痛み、歩けないことで、50代で人生に疲れ果てていた私。
ラッキーなことに専門医に出会うことができました。
それまでは「このままうまく付き合ってくださいね」と言うお医者さんばかりでしたが、医学が日々進歩しているおかげで「脊柱菅狭窄症の手術をたくさん手がけている」先生に会えたのです。
ラッキー!! まさに出会いのチャンス!
でも・・・
- 脊柱管って足を動かす神経が通っていて、そこを手術して失敗なんてことになったら・・・?
- 下半身が全く動かなくなるなんてやる?
- 手術というモノ自体が怖いしなぁ
場所が場所だけに「手術で治りますよ」と言われても、やっぱり怖かったです。
手術できますよ、うまくいけば普通に歩けるし受けてみませんか?
そう言われても「失敗」とかマイナーなイメージばかりが頭の中に浮かびました。
またいろいろ考えました。
手術を受けなかったらこの先の私の楽しみは
- 寝転がってテレビ三昧
- テレビを観ながらお菓子を食べる
結果、体重が増えて、しかもヨレヨレのおばあちゃん。
その日、その日をうだうだと過ごすだけの「人間やめました」状態になるだけ。
手術を受けたら・・・?
- 旅行に行く
- 好きなミュージカルを生で観劇三昧
- 適度にかる〜く運動して今よりファッショナブルな洋服が着られる?
未来の自分を想像した時「手術を受けた私」はまだまだ輝いていられるように思いました。
↓↓顔出しはとっても恥ずかしいのですが・・・(50代でお菓子食べ過ぎの太ったおばちゃんになったし ^^;) 2019年の春にはパリに行けるまで元気に! しっかり自分の足で歩いています。 ![]() |
そこで手術を「受ける」「受けない」を悩んだ時、思い切って「受ける」選択をしたのです。
もちろん相当の覚悟もいりました。
でも憧れのヨーロッパに行けるまで元気になれました。
自分の足でしっかりと歩いて旅を楽しむことができました。
あの時「手術を受けない」選択をしたら、こんな日は永遠に来なかったと思います。
あなたが人生に疲れた50代だったら? そんなあなたに伝えたいこと
私は50代で足腰疾患持ちで歩けなくなった。
そして人生に疲れていました。
この記事を読んでくださっているあなたも、
ひょっとすると・・・
- この先良いことはない
- 老後を考えると不安でいっぱい
- 頑張って生きてきたのになんでこんなことになるのか?
- これからどうして生きていったらいいのかわからない
人生に疲れた原因はいろいろだと思います。
将来に対する不安や頑張って生きてきたのに報われない思いを抱えていらっしゃるかもしれませんね。
時には「なぜ私はこんな目に合うのだろう?」
そう悲しくなるかもしれません。
私は手術を受けるという選択、その経験を通してはっきり知ったことは
- 「やる」
- 「やらない」
つまり行動するか否かで人生は変わる。
いえ、自分の手で変えられるということです。
今思い返せば実にシンプルで当たり前のことかもしれません。
でも50代ですっかり毎日に、そして人生に疲れ果てていた頃の私は、「やる」「やらない」の選択で人生が変わることに考えが及びませんでした。
結果的には、手術を受けたから歩けるようになったものの、老後への不安がそれだけで解消された訳ではありません(苦笑)。
これ・・・
実は治った訳ではなく、一時的に症状を抑える手術だったからです。
でも「歩ける」という一つの事ができるようになって、チャレンジすれば私にもできることはあるのかもしれないと考えるようになりました。
だから今は「また歩けなくなること」を考えこんで不安はプルプル頭を振って吹き飛ばす。
そして「今歩けること」をいっぱい楽しんでおくつもりです。
仮にあなたもまた人生に疲れた50代だったとしたら、
出会いのチャンスを見逃さず
チャレンジする
行動する
これを実行してみてください。
それだけできっと人生は変わる。
自分の手できっと変えられる と思います。
今は時間にも、場所にも縛られず、のんびりと自由を満喫しながらネットビジネスをしている私。
ネットビジネスもやってみようかなぁ?と思った時には「そんなモノうまくいくはずない」と考えました。
でもパソコンとWi-Fi があればできるビジネスって、失敗したところで失うモノってあまりないのですよね。
ネットビジネスを「やる」「やらない」を考えた時。
歩けなくて手術を「受ける」「受けない」と迷った時に「受ける」選択をしたのと同じように、「やる」ことでひょっとすると人生を自分の手で変えられるかもしれないと思いました。
人生は「行動する」「行動しない」の選択の繰り返し。
脊柱菅狭窄症の手術だったら、結果「失敗」という可能性もありました。
でもネットビジネスは失敗したところで、全く歩けなくなくなったり、寝たきりになる訳でもありません。
失うモノはほぼゼロ。
「やる」決断をしてよかったです。
こんな私の経験と言葉が、あなたが何かにチャレンジするきっかけになれば嬉しいです。
そしてあなたにも自分の手で自分の人生を切り開いていく仲間になって欲しいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント
こんばんは
ランキングから来ました
回復おめでとうございます
私は介護なき人生を!を
施術に取り組んでいます
また笑顔を取り戻せて良かったですね
bescon さん
ご訪問とコメントをありがとうございます。
介護なき人生って憧れです。
自分の力でできる限り前向きでいられたら、少しでも介護を受ける時間って減らせるのかしら?と思いますが、こればっかりは努力がそのまま成果につながるかどうか(苦笑)。
こんにちは。
人生は「やる」、「やらない」の決断の繰り返しですよね。
「やる」ことを選択されて、人生が切り開かれた感じですね。
これからも頑張ってくださいね、
応援しています。
kiyoshiさん
ありがとうございます。
大きなことでなくても「やる」「やらない」とか、朝ごはんは「和食」「洋食」とか・・
決断と選択の繰り返しが人を作っていくのかなぁ・・・とか(^^)
・・・なんて大げさですが、kiyoshiさんも一緒に毎日を頑張ってすごしましょう!
私にも辛いことがありました。でも記事を読んで元気にがんばろーと思いました。ありがとうございます