はじめまして!
えみにゃ です。
年齢はあまり書きたくないのですが・・・60歳。
人生の大きな岐路!定年を迎えました。
定年を延長して働き続けるか?
あるいは別の会社に再就職するのか?
50代の後半には60代をどうやってすごそうかと悩みました。
そして私が結果的に選んだのは円満に定年退職でした!
今は年金を受取りつつ
Macbook pro (パソコン)1台で毎月15万円近くの収入を得て、ほっこりゆったりスローライフを楽しんでいます。
起きたらゆっくりとパンとトーストの朝食。
自然素材が心地良い服を着て、時計を気にせずにのんびりと過ごす一日。
これは時間に追われていた会社勤めの時代からすれば最上の幸せの時間です。
そして時には心許せる仲間と美味しい物を食べに行く。
ミュージカルを観に東京へ行ったり、時々は一人で温泉に行ってほっこりリフレッシュ!

そしてついには・・・!
週末ライフを楽しむために、大好きな街に自分のためだけの部屋を借りました!
写真はこの部屋のために大工さんに作ってもらったPCデスクです。

使わなくなった無垢の栃の木の板。
温もりを感じる手触りが好きでずっとストックしていましたが、黒い鉄脚をつけてPCデスクとして復活です(^^)。
自然を感じる好きなものだけを置いて、この部屋での時間をゆったりと楽しむつもりです。
ただ一つだけ残念なことがあるといえば、この部屋はペット禁止!(涙)
↓↓この子は家で留守番している愛猫達の代わりに連れてきました。

いつか・・・
ペットも飼える大きな部屋に引っ越すのだ!!
そんなことを夢見つつ、好きなものに囲まれた一人の空間を楽しんできます。
(夫は・・・好きな海に出かけてます ^^:)
ゆっくり起きて散歩して、気が向いたらPCに向かって・・・
日々を自分のペースでゆったりと丁寧にすごしています。
「えっ? パソコン1台でそんな生活ができるの?」
そう思われるかもしれませんね。
でも、私がのんびりゆったり好きなことをやっていても、その間にもパソコンは自動的に収益をあげてくれています。
そうは言っても全く何もしないのではなく、週に3日程度は1- 2時間は仕事をしています。
毎日、決まった時間に会社へ出勤することはもちろん、パートやアルバイトに行くこともなく、自分が好きな物に囲まれて、好きな事をして過ごしている今のライフスタイル!
とても気に入って、日々を満喫!
↓↓雨の日も傘をさしてのんびり散策を楽しんでいます

何か特別のスキルがある?
いえいえ、私はごく普通の60歳シニア女子です。
物忘れも多く、「ほら、あれよあれ・・・っ!」という風に単語が思い浮かばないこともよくあります。
年相応のおばちゃんです。
そんな私は・・・
何年か前は「定年」「年金」という文字を目にするとため息しかでませんでした。
定年を延長して働き続けるか?
年金を頼りに細々と生活するか?
いやいや、年金だけでは細々とて暮らしは成り立たないだろう(–;)
働くことは嫌いではありません。
とはいえ、足腰を患って毎日の通勤がとても大変な時期もありました。※(後述)
体力が年々衰えていくことも、しっかりと実感しています(涙)。
スローペースでもいい、マイペースで働くことってできないの・・・?
腰痛と付き合いつつ、体力が衰えてもできる仕事をいろいろ考えていました。
それが・・・
2016年の夏にブログを書きはじめて人生が一変!
ブログ記事作成を始めてから5ヶ月目、2017年2月に1ヶ月で10万円の収入を得ることができました。
そしてその翌月には20万円超え!
それまでブログから収入が得られることも知りませんでした。
たま〜にネットサーフィンをしていると
「1ヶ月5万円稼ぐブログ」という記事を見かけることがありましたが、どうやってブログで稼げるのか意味がわかない!
私とは無縁の世界だと考えていました。
でももともと好奇心が旺盛です(^^)
「1ヶ月に5万円を稼ぐブログ」って本当にあるのだろうか?とわずかながら興味もありました。
だから失敗しても別にいいか・・・
トライしてみるのも悪くない・・・
そんな軽い気持ちでブログを作って、記事を書き続けた結果が1ヶ月10万円。
そして20万円超えの収入に繋がりました。
当時はまだ会社勤めをしていました。
だから会社へ行く前、お昼休み、休日・・・
隙間時間を使って始めたブログ(アドセンスブログ)でした。
副業で1ヶ月20万円の収入を得ることができた時には定年、年金生活も怖くない! という心のゆとりを持てました。
シニアも仕事を自分のペースで楽しみながらできるかな?
そんな期待も持つことができました。
そしておばちゃんでも「やってみよう」「やるんだ」というポジティブな気持ちさえ持てば、まだまだやれることはあると実感しました。
副業で稼げたことも嬉しかったですが、やる気さえ持てば年齢に関係なく何事もできる!
そんな達成感を味わい、自分自身に対して大きな自信を持つことができました。
これで定年なんか怖くない!
60歳を過ぎても私にもできるビジネスがある・・・・と!
目次
えみにゃのプロフィール
前述の通り
私は中身はごくふつーの60歳女子。
つまりおばちゃんです。
ただ・・・なぜか働いて自分で稼いでいないと、自分自身に納得ができないところがあります。
どうして?と聞かれることもありますが、自分でもよくわかりません(–;)
・・・なので、ここからは私の子供時代からの出来事をお話していきますね。
現在の私の簡単な自己紹介 【家族】主人(同い年)、猫10歳オス、2歳のメス2匹(3匹とも保護猫) 【血液型】A型 【性格】ズボラな反面どこか生真面目 【好きなもの】自然素材の服、ミュージカル鑑賞、ぼーーーっとすること |
えみにゃの子供時代
私の子供時代は・・・
一人っ子で教育熱心な親のもとでビシバシ厳しく育てられ、私立の女子中学に入学。
ごく普通のサラリーマン家庭ではちょっと背伸びな私立中学入学でしたが、それだけ両親は「教育」に関心が高く熱心だったということでしょう。
そしてそこで順風満帆な中・高校生時代を送るはずでした・・・
が、そんな絵に描いたような学生生活を送ることができなかったのです。
いろいろあって・・・(^^;)
だからこそ今の私が存在しているのかもしれません。
私は私立中学に入学したものの、その年に父が体調を崩し休職と復帰を繰り返すようになりました。
私学というところは多少なりともお金もかかります。
一家の大黒柱である父親が病気休職をしているということは、我が家にはお金がないのでは?
このまま私学に通わせもらっていいの?
公立中学へ転校して、公立高校へ行ったほうがいい?
中学生ながらも密かに心配をし胸を痛めていました。
しかし母にその思いを伝えたら「子供はそんな心配はしなくていいの!!」と言ってくれたような、記憶があります。
でも我が家の家計は大丈夫なのだろうか?と、子供なりに親の顔色を見て気を使っていました。
実際、我が家の台所は火の車、綱渡り的な生活だったかもしれません・・・。
母に「子供は心配しなくていいの!」と言われてからは、いろいろなことが気になりましたが、そのまま私立高校へ内部進学。
経済的に大変であっても私学に通わせてくれたのは、両親なりの愛(期待?)だったのかなぁ?
今になってそう思います。
私立中学、高校の同級生はごく普通のサラリーマン家庭の子もいましたが、いわゆる富裕層、裕福な家庭の子もいました。
いつの時代も女子高生といえばファッションの話にも余念がないものですが、制服以外の洋服を買って欲しいなんて、私はとても母には言えない空気を感じていました。
多分、私は制服以外の洋服は、数枚しか持っていなかったです。
今みたいにユ○クロなどのファストファッションもなかったですしね。
当時流行していた「スヌーピー」で有名なファ☓▲アのトレーナーやTシャツにちょっとばかり憧れたりもしました。
でも友人達がうらやましかったか?といえば、いやいやよその家はよその家・・・そう自分に言い聞かせていました。
まぁ、本音は「いいなぁ・・・」と少しは思っていたかな?
でも両親は教育という点では、私には十分すぎるぐらいのお金をかけてくれました。
この頃に「受けた教育、自分がした経験は自分の中にずっと残る」いわば「永遠の財産」と両親から学びました。
洋服やモノは買ってもらえなかったですが、その点ではとても感謝しています。
大学に進学することも諦めようか・・・
そう悩んだこともありました。
しかし母は
「これからは女の子も手に技術を持って一人でも生きていける女性になるべき」
「女性も経済力を持つべき」
そう言って、そのために大学へ進学することをすすめてくれました。
母にとっても、父の病気と休職の繰り返しは経済面だけでなく、メンタルに大変だったでしょう。
当時は日本がまだ高度経済成長期のど真ん中。
だからこそ休職と復職を繰り替えしていても、まだ父も会社から必要とされていましたが、今なら真っ先にリストラの対象だったはずです。
ある意味、日本の企業にもゆとりある時代だったから、私達家族は路頭に迷わなくてすんだのかもしれません。
母は自分の心労や経済的な困窮など私には見せたことはありませんでした。
しかし、大学受験も迫った高校3年生の冬、風邪をこじらせてあっけなく他界してしまいました。
私の中には母の「女性も経済力を持つべき」という言葉が、深く深く残りました。
そのせいか大学卒業後は「一人でも生きていける」ことを目標に、当時の同年代の中ではまずまずの年収を稼げるアラサーになることができました。
えみにゃが社会に出てからは・・・
社会に出てからも、母の「これからは女性も経済力を持つべき」という言葉は頭から離れませんでした。
仕事が楽しかったこともありますが、遊びよりも仕事優先。
同級生がどんどん結婚していく、いわゆるクリスマス適齢期をすぎても「私って結婚しないのかも?」と漠然と思っていました。
あっ、クリスマス適齢期というのは、クリスマスケーキは12月23日が一番売れて、24日、25日と段々売れなくなるのに例えて、女性の結婚適齢期は23歳から25歳と、当時言われていたことです(^^;)
そして25歳もとっくにすぎて、30代にしっかり突入し「私って結婚しないかも?」は「もう結婚しない!」と思い始めた頃に、夫と出会い結婚。
出会いの不思議です(笑)。
えみにゃの結婚後・・・
結婚後は以前とは全く違う職種でしたが、働き続けました。
私は「一人でも生きていける女性」であるために、専業主婦という選択を考えたことはありません。
夫も女性が働くことに賛成派!
さらに理解がある夫なのか、私のお給料の使い道には「あなたが働いたのだから」と口を挟むことはありませんでした。
経済的にはそこそこ恵まれ、夫婦で大好きな海外旅行にも何度か行き、食べ歩き仲間と美味しい物を食べるためだけの旅行をしたりしてきました。
そういう経験は、心を、人生を豊かにしてくれました。
まぁ、会社勤めが苦にならなかったといえば嘘。
やっぱり毎日決まった時間に出社することって大変ですからね。
でも夫に頼りっきりでなく、自分にある程度の経済力があるからこそ共に楽しめる生活でした。
自立した女性 = 経済力がある女性 ではありません。
でも、何かの理由で一人になったとしても、生きていく力として最低限必要なのは経済力ですよね。
そして一人で暮らしていくたくましさがある女性は、広く社会にも目を向け、自分で物事を判断できるはず。
そんな風になりたい!
理想を追ってきました。
(いや・・・、あくまで理想ね! あくまで・・・ ^^;)
えみにゃの家族・うちって変わってるの?
結婚後も私は欲しい物は独身時代とあまり変わりなく手にしていました。
自分の手が届く範囲のモノは自分で買い、やりたい事(習い事とか興味のあること)もどんどんやってきました。
もちろん身の丈にあわないことはしませんよ・・・
自分の力でできることだけ・・・ね。
夫は、私のお給料の使い道にアレコレと口出しせずに「好きなように使っていいよ」と言ってくれます。
だからこそ、欲しいものは自分で手に入れ、やりたいこともできたのです。
↓↓えみにゃが好きなナチュラル素材の洋服

「できたご主人ね、優しいね」と言われます。
いや、私自身そう思っています、本当に・・・(^^)。
そして感謝しています。
でも我が家はちょっと変わっている?
結婚当初からいわゆる誕生日をはじめ夫婦のイベント的なモノは皆無です(苦笑)。
誕生日ぐらい、結婚記念日ぐらいはロマンチックなロケーションのレストランで美味しい物を食べたいなぁ・・・。
女性ならそういうシチュエーションに憧れますよね。
「なんで記念日だから、外食しなければいけないの?」という夫の言葉に
確かに「記念日に〇〇しなくちゃいけない!」という法則はないと思いつつも、えっ?(@@)と思ったことがありました。
要するに「スケジュールを調整して、イベントの日にあわせて食事に行く必要はないんじゃない?」というのが彼の考え。
確かになぁ・・・とだんだんと納得するようになりました。
美味しいお店を見つけたら、都合のいい時にいけばいい・・・私もそんな風に考えるようにしていました。
そんな訳で当然、世間で言うところのスイートテンダイヤモンドもなし・・・(^^;)
「誕生日も結婚記念日も、我が家はレストランなんて行かないし、プレゼントもないよ」という話を友人にすると「キレない私が理解できない」と言われたことも。
逆ギレする女性もいるんだろうか?
でも家庭ってそれぞれ違うものだから、うちはうちでいいかなと考えるようになりました。
(あっ、気まぐれに誕生日に花束をくれたことありました。逆にびっくりしましたが)
強がり?
でも、我が家は我が家! 隣の芝生はどうでもいいんですよ。
(スイートテンダイヤモンド、どうでもいいとは思いつつ、欲しいかもーーーっと思ったのもホントですがぁ^^;)
経済力があれば自分が欲しいモノは、欲しい時に自分で買うことができます。
そして実際にそうしてすごしてきました。
節目となる銀婚式の時さえも、なーーーーにもイベントありませんでした(笑)。
でも、夫は私が自分の収入を何に使おうと何も口出ししません。
そして私も逆に夫が生活費以外に、彼が彼の収入をどう使おうと何も口を挟みません。
そうやってお互いに自然体に「やりたいことをやって楽しくすごしている」
これこそが最高のプレゼントなのかもしれないと、思っています。
うちって変わってるの?
そう思う時もありますが、欲しいモノは自分の力で手に入れて、誰にも気兼ねせずいられることを、私はとても楽で最高の幸せだと思っています。
PC1台で15万円稼ぐ、えみにゃって?
最初に書いた通り、私は年金に加えてPC1台で毎月15万円近く稼いでマイペースにのんびり過ごしています。
特別な能力やスキルがあるわけではありません。
取り柄もあるとは言えないですねぇ、残念ながら・・・。
ずっと働き続けてます!なんて偉そうに言っても、家事は好きじゃないし、主婦はとっくに落第です。
働いているのは・・・
- 中・高校生時代に父が体調を崩して休職と復職を繰り返していたこと
- 母の苦労を感じていたこと、そして母に「女性も経済力を持つべし!」と教えられたこと
多感な10代にこれらが心の深い所に根付いてしまったからでしょうか?
本当にただこれだけ・・・ですね(^^;)
そういう思いで仕事を続けながら、働いて、自分の力で欲しいモノは手にいれて、そして元気に過ごせることが何よりの幸せ!と50代に突入しました。
しかし・・・
50代に突入後のごくふつーのおばちゃんに「これから先どうしていこう・・・!」と目の前が真っ暗になるようなことがドン!と突きつけられました。
それは・・・歩けなくなった ことでした。
脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)になった
40代の終わりに足の半月板を損傷して手術を受けました。
ちょっと転びそうになって踏ん張ったら・・・
半月板が壊れちゃったんです。
手術も無事に成功して1年近くリハビリに通いそのリハビリも卒業!
また快適に私らしく働いて、好きな事をやっていこうと思っていた矢先、なんだか腰がとっても痛かったり、足が痺れたり「変だなぁ・・」ということが度々起こるようになりました。
だんだんと痺れは強い痛みになり、やがて歩くのが辛くなってきたのです。
ある日、会社の階段を昇ろうとしたら、足があがらない。
会社に行くのが大変どころか、家の中を歩くのも苦痛。
家事はもちろん、何をするのもただただ痛いくてつらーい日々。
いくつかの病院を受診しても最初は原因がわかりませんでした。
歩くのが辛いだけでなく、当時はメンタルにどよーーーんと沈んでいました(–;)。
そして階段が上がれない事件(?)から2年ぐらいたって
「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」と診断されました。
原因は?と尋ねると
老化です・・・でした。
歳をとるとこんなことが起こるんだ!
歩くなんて当たり前のことが当たり前でなくなるんだ!
「これはね・・・、うまくつきあっていくしかありませんね」と言われた時、原因はわかったものの対処法がないのには呆然でした。
仕方なく痛みを軽くする為に鍼灸院の門を叩き、週に1回の鍼灸院通いをはじめましたが、保険適用ではないので1回6,000円、月に24,000円の出費に(–;)
それだけではなく、働くことは「女性の自立」であり、そうしていることが自分らしいと思っていたにもかかわらず、それができなくなる?
子供時代に両親に気を使い、私立の学校に通わせてもらっているだけで有難いのだから、「あれが欲しい」なんて口が裂けても言えませんでした。
大人になってずっと働き続けてきたからこそ、自分の力で手にしてきた物も、働けなくなったらそうはいかなくなるんだ・・・。
すべての価値観がひっくりかえるような気がしました。
歩けないという状況は辛かったです。
でもそれ以上に、ずっと当たり前のように「女性も経済力を持つ」、そして欲しいモノ、やりたい事は自分の経済力で手にいれるという生活をしてきたので、その価値観そのものを見直さないといけない?
そんなことは、もっと先ことだと考えていたので重苦しい日々を送っていました。
歩けるようになったものの・・・?
でも・・・
今は数年の間の医療の進歩のおかげで
専門医の手術を受けて元気に飛び回れるようになりまりました!
歩けるって幸せです!
ちょっと頭の中をかすめる
「5年か10年後に再手術の可能性はあります」と言われていることを省けば(涙)。
この脊柱管狭窄症は別に珍しい病気ではないそうです。
シニア世代の女性に多いそうですが
30代、40代でも発症する人もいるとか。
でも会社勤めをしていれば、足がしびれて歩けないといって簡単に休みをとれないこともあります。
しかも会社員なら、毎日決まった時間までに出社しなければいけない。
周囲が理解をしてくれたとしても、やっぱり○○を明日までにしなくては!と考えると、なんとしてでも仕事にいかなくちゃ!と結構くたびれましたねぇ。
歩くのが辛い頃は、とにかく何もかも必死でいろいろと考える余裕はありませんでした。
でもあの辛さをまた味わうのは、もうゴメン!です。
そんな経験から「会社に行かないで収入を得るスキルを身につけて、60歳で定年退職しよう」と考えはじめました。
そして・・・
歩けなくなるという経験で、私は「また今度○○しよう!」ではなく、したいことがればすぐにやる!
思い立ったら、即行動する!
のんびり者だったのに、行動的になりました(^^)
来年になったらやろう・・・なんて思っていても、来年はどうなっているかわかりません。
やろうと思っていても、また歩けなくなるかもしれない。
いやいや、60歳になれば命に関わるような病気になる可能性もある。
(この可能性は年齢に関係なくありうるけれど、歳と共にリスクは高くなりますよね)
やりたいことをやらずに、人生を終わりたくないと考えるようになりました。
だからこそ足が動かない、腰が痛い・・・そんな辛い思いをして、会社通いを続けるより、自由に好きなことができる時間も欲しくなったのです。
一方、母の「女性も経済力を持つべき」という言葉からどうしても逃れられない。
幼少期から10代の経験は心のふかーい部分に根付いて、人生に影響を及ぼすのですね。
まぁ、一人っ子でポーーーーッとしていた私の場合、いろいろな意味で同世代の女性の中ではかなり自立した大人になれたんじゃないかと母に感謝していますが。
そして・・・
今や日本政府は「75歳まで自立して働きなさい」的に、シニア層が働くことを推奨しています。
でも、私はまたいつ歩けなくなるかわからない(–;)
・・・となると、家にいてもできるビジネスを考えるのがベストな選択?
歩けるようになってからの私は、自分らしい人生をすごすために、どんな状況でもできる仕事(ビジネス)を模索しはじめました。
収入も時間も欲しい!これは贅沢なのか?
ずっとこのまま65歳ぐらいまで会社勤めをするんだろうなぁ・・・。
ぼんやりとまだ遠い先の事のように考えていた50歳半ば。
脊柱菅狭窄症で歩けなくなることは、全く想定外でした。
でも今から思うと、年齢と共に衰えつつある体力と気力を少しずつ感じはじめていました。
朝、バタバタと朝食の用意をして慌ただしく出かける。
会社から帰宅したら夕食を作って、洗濯、翌日の献立ややるべきことをリストアップして・・・と時間に追われ、気がつけば日付が変わろうとしている。
かといって睡眠時間はしっかり確保しないと、若い頃のようにはいかない、速攻翌日の体調に現れるようになりました。
以前ならば、時間に追われてもおしゃれにも程々気をくばり、それが楽しかったのに、もうバタバタとして寝るのが精一杯の毎日。
時間との競争で絶えずイライラしていました。
とっても気に入って買った洋服もアレッ?と思えば、まだ紙袋の中・・・。
気がつけばいっぱいモノで溢れた部屋で、片付ける気力も失い、おしゃれする元気もなく、鏡を見るとそこにはボサボサ頭のおばさん・・・。
これじゃ、少し前に話題になった?「干物オンナ」いえいえ「干物おばちゃん」(涙)。
あぁ、もうぜーーーんぶ投げ出したい!
ジャージ姿でごろごろ家の中でしていたい!
(綾瀬はるかなら絵になるけれど、美人でもないおばちゃんは絵にもならない・・・ ^^;)
私は「女性も経済力を持つ」という呪縛と、年齢と共にゆったり暮らしたい願望がわいてきたことで葛藤していました。
朝は目覚まし時計なしで起きて、ゆっくりコーヒーを入れてトーストを食べながら、「今日はなにしようかな?」と考える。
(以前は忙しい頃は立ったまま用事をしながらトーストをかじってました ^^;)

スカッと晴れた日にならば、その日急に思いってシーツを洗濯しても、外の空気を感じながらパーンと広げて干せるじゃないですか。
そんなCMもありますが、これって専業主婦だからできるのだろうなぁ?って結構羨ましかったです。
(天気を気にしていられないので、ずっと全自動洗濯乾燥機使ってました ^^.)
あわててスーパーに駆け込んで出来合いのお惣菜の夕食はもう勘弁。
献立をゆっくり考えて、お出汁も昆布とかつをで昔ながらやり方で作る丁寧な暮らしをしてみたい。
歳はいやおうなく重ねていくものだけど、おしゃれにも気遣ったおばちゃんでいたい!
何よりも晴れた日は晴れの、雨の日は雨の日なりの自然を、何よりもそよ風の心地良さを感じる心の余裕が欲しいーーーーー!
日々を丁寧に暮らして、四季の風を肌で感じる心の余裕をもちながら、収入を得ることってできない?
つまり「ほっこり暮らし」をしつつ「収入も得たい」と考えるようになりました。
それが2年前、58歳の時。
そんな贅沢が可能なのかどうか当時の私はわかりませんでした。
わからないけれど、その贅沢をもし叶えることができたら、もっと私の人生は豊かになるかもしれない。
60歳までに会社を退社しても自分で収入を得る道を切り開き、しかも時間に追われず毎日を丁寧にすごしたい。
この2つの贅沢をどっちも手に入れる夢を実現しようと思った時に、アドセンスアフィリエイトに出会いました。
歩けなくなった・・・。
この経験で何でもとにかく「やろう」と思い立ったら、即行動しないと明日こそ、明後日こそなんて言っていたら、きっと何もできなくなるんだ!
とにかく「今」を大切にしたい と思い、速攻に行動へ。
(あ〜、若い頃はボーーーッとしてのんびりしたタイプ。人前でもしゃべらなく大人しく・・・なんて言ったら最近の私しか知らない人はびっくりされますが ^^; )
それからはコツコツとブログ記事を書き続け、7ヶ月後に10万円の収益を得ることができました。
それから1年以上、平均して一ヶ月15万円の収益を得られる自信もついたところで、定年を迎えて退職することを選びました。
今は朝バタバと用事をしながらトーストをかじることもなく(^^;)、家事も余裕をもってやれば楽しいのかも?と思ったり、ゆったりとした時間の流れを感じる生活にたどり着くことができました。
そして冒頭に書いた通り、週に何日かは1-3時間PCに向かって仕事をしていますが、あとは勝手にPCが収益をあげてくれています。
ブログで収入を得られるってホント?
また歩けなくなっても、自分でできるビジネスってある?
しかも時間に追われずに暮らせる方法ってある?
そう考えながらネットサーフィンをしている頃、「1ヶ月10万円を稼ぐ方法」「家にいながらお小遣い稼ぎ5万円達成」。
そんな記事が目に止まることがありました。
そんなうまい話があるわけない!
あったとしても私みたいなおばちゃんにはムリ!
そんな夢みたいはことができるのは若い人だけ!
そう思いました。
でも、ずっと仕事をしていたい私は、10代からの刷り込みで(?)「女性も働くべき」と思ってすごしてきました。
それなのに、また歩けなくなって働けなくなった時はどうしたらいい?
年金を受け取って、夫に甘えて細々と暮らす?
いやーーー、少なくとも「甘える」ということがとっても苦手なので、それはできないだろうなぁ?
働いているほうが気兼ねなくいられるなぁ?
かって両親の顔色を見ながら学校に通っていた10代を思い出して、今度は夫の顔色を伺うのはイヤ!
そんことを思いました。
(いえ、夫はそんなに狭い心の持ち主じゃないのですが、やっぱり気を使う・・・ ^^;)
そして「また歩けなくなった」時、どうしよう?と時々とても不安になりました。
歩けなくて家にいてできる仕事を探せばいい?
まぁ、文字にすると単純なのですが、そんな仕事あるの?
いろいろ模索していました。
そんな時ネットサーフィンでブログで「1ヶ月10万円稼ぐ方法」を何度かみかけるうちに、やらないよりやってみようかな・・・
小さな挑戦の気持ちと、興味からブログ記事を書く日々がスタート。
そして今は・・・
何事もやって見なければ結果はわからない!
つくづく思っています。
ネットで「1ヶ月に5万円稼ぐ」あるいは「10万円を稼ぐ」ってありえない?
胡散臭い?
しかし、これは夢でもなんでもなく本当のことでした。
実践してみてわかったことです。
もしも・・・
何もせずに簡単に稼げるというなら、それはまやかしです。
そんなうまい話は、やっぱり世の中にはないでしょう。
私は小さな挑戦として、毎日ブログ記事を書いて「1ヶ月10万円稼ぐ」夢を実現しました。
目標を「1ヶ月10万円」にしたのは、それぐらいの収入があれば定年退職しても年金とあわせて、自分の好きな物は自分で買って、やりたいことをする自分らしいスタイルで暮らせると思っていたから(^^)
その目標はブログを書き始めて半年後に達成することができました。
そしてその翌月に
1ヶ月20万円の収益も達成。
正直、自分でもびっくり!
60歳になると体力がどんどん落ちているのを実感することは、日常にいっぱい。
物覚えも悪くなり、「それよそれ・・・っ!」といいながら固有名詞が思い浮かばないのも毎日。
歩けなくもなったし、新聞の字も見えづらいし・・・。
マイナスなことを挙げだしたらキリがないのが60歳。
だから、新しいことなんか挑戦できるはずがないと、ほんの少し尻込みしていたのも本当です。
思い込みって怖いですね。
前へ進む時に自ら目の前にハードルを作ってしまう訳ですから。
やってみてダメなら諦めればいい。
やればできるかもしれない。
ほんの一瞬そう思った時に「ブログで1ヶ月10万円を稼ぐ」ことに挑戦してみて、よかったとしみじみ思っています。
収入はうれしかったです。
それよりも、私の場合はおばちゃんでも何事もトライすればまだまだやれる事はいっぱいある!
これなら定年退職しても、自分らしいライフスタイルの生活ができる!
いくつになっても諦めなければ自分の手で幸せを掴める実感できたことこそが、最大の喜びでした。
自分らしく暮らすためにあなたに伝えたいこと
お金で幸せが買える訳ではありません。
健康だって同じです。
それでも経済力があれば、病院へも行けるし適切な治療を受けられます。
家事をすることが負担になれば、家事代行サービスを頼むこともできます。
実際、足が動かない、腰痛い中でいつしか片付けられなくなっていた部屋の片付けもプロに手伝ってもらっています。
下は、足腰が痛くて片付けられなかった部屋。あふれた洋服を本を大量に処分、不要になった無垢の木の古い本箱を利用して、プロの手でミニクローゼット制作&収納してもらった様子です。
私一人ではとてもできませんでした。

長距離移動の新幹線。
圧迫感を感じて、腰が痛いだけじゃなくて疲れるーーーーー。
そんな訳で最近はグリーン車利用(^^)!

そしてついに・・・
ネットビジネスで自分で得た収入で、冒頭に書いたとおり、ほっこり自然を満喫してすごすために、自分のためだけの部屋を借りました。
部屋の隅に花を活ける心の余裕がもてるようになりました(^^)
花を眺めてぼーーーっとできるのもしあわせ!

えっ、ちゃんとお家があるのになんで?ですね(汗)。
窓から山と川、自然が眺められるところに住むのは私の夢でした。
(今は都会の真ん中に住んでいるので)
そしてそこは10代の頃から一度は住んでみたいと思っていた街です。
いつか住んでみたい・・・。
そう思うなら「今」やらなくてどうする?と思い、週末だけ自分だけの部屋で自然を満喫しています。
(夫は海が大好きで、しょっちゅう潜りにでかけています ^^;)
そんな憧れを実現した部屋に、手に温もりを感じる無垢の木をDIYでPCデスクにして置きました。
これから少しずつ、自分の好きなモノを厳選して置いていこうと思っています。
↓↓これも大好きなモノのひとつ。20年近く前に骨董市で見つけた引き出しです。

何が自分にとって幸せなのか?
どんな人生を送りたいか?
これは当たり前ながら一人ひとり違います。
そして30代、40代のいわゆる働き盛りの世代と、50代、60代でシニアといわれる時期を目前にする世代では選択できるライフスタイルや働き方スタイルも当然異なることでしょう。
特に女性は独身時代、結婚後の子育て時代や親の介護の担い手となる時代。
自分自身の手だけではどうしても解決できない問題に直面する時期もあります。
働きたい気持ちはある、でも家族のことを考えると時間に制限ができてしまう・・・等々ですね。
そんな時でも「やる気」と「チャレンジ精神」があれば、毎日隙間時間を使ってインターネットで収入を得ることができる!
私自身、胡散臭いとか思っていたものの、実際にやってみると実にまっとうなビジネスであり、こういう働き方のスタイルがあることをたくさんの方に伝えたいと思いました。
誰にでも家庭の事情はつきものです。
家族がいれば自分の勝手が許され難いこともたーくさんあります。
また私のように歩けなくなるとか、なんらかの自分自身の事情で仕事をしたい気持ちと相反して、なかなか外に働きに行くことができない方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれを理由に不安を抱えたり、不満ばかりがわきてくるのは悲しいですね。
解決できる方法があるならば、それにチャレンジして一度しかない人生を、より自分らしくすごせすことをオススメしたいとおもいます。
収入を増やすことでその問題が解決できるならば、その方法を見つけて是非ともチャレンジしてみてください。
小さくても、ささやかでも、またとーんでもなく大きな夢でも・・・
自分の手で夢をかなえて充実した毎日を送りたい人を、私は全力でサポートします!
明るく笑顔で過ごせる仲間が増えることが嬉しいと思っています。
最期までお読みいただきありがとうございました。
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